震災から2週間後、何度も被災地を往復した成田氏はダブルジョイ事務所で現状を語った。
「報道されてる避難所はまだいい方、実際はもっと酷い所がたくさんあるんです。」
震災の翌週、まだ東北道が通行止めの中、緊急車両の手続きを取り民間の有志としては最も早く被災地に物資と燃料をタンクローリーごと届けた。
まずはHASH BALLの仙台メンバーの知り合いの被災された家を回るが、「もっと困ってる人が居るからそっちに配ってあげてください。」水も出ないし朝から配給のおにぎり一個しか食べていないのに自分達はまだいい方だと言う。
このようにさらに酷い地区を指示されて飛び込みで被災した一軒一軒、そして物資の届かない避難所を回り出した。
若い頃の見覚えのある街並は跡形もなく想像を絶する光景。道中子どもを見かけたら停まってお菓子を持たせる。みんなの物資を渡そうと「家族は何人?」と聞くと「6人だけどまだ2人見つかってないの。」言葉を失う。近くの小さな避難所ではまるで物資が足りていない。そして強靭な彼らでも怯んでしまうほどの、決して報道されない様々な裏事情も目の当たりにした。
東京ですら物資不足な中、成田氏の呼びかけに全国の仲間から物資はどんどん集まり、同行する仲間も増え、関東近辺は勿論、遠くは名古屋や新潟からも。この動きは大きく広がり、東京へ戻りすぐに物資を積んで出発するというピストン輸送を何度も繰り返した。そして地元仙台・気仙沼のメンバーが親戚知人友人からの情報を元に細かくリサーチをおこない、特に困っている地域や個人宅までををサポートする。このきめ細やかな動きは行政や大きなNPO団体ではなかなかできない、彼らならではの機動力である。
結果、3月だけで運んだ物資は2000万円を超え、彼らの従える4tトラック、2tトラック、ハイエース10数台にタンクローリーという緊急車両の隊列は地元の人達にはどんなに心強かったであろうか。
「今、一番困っている人を助けよう。」
一通り話を聞いた横山剣は協力を決意し、社員に物資収集の指示を出した。そして自らも行動を興した。
そして現在も個人的に物資支援、資金支援を続けている。
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